北海道に50年以上住んで、初めての経験となった今回の地震。夜中の3時過ぎに始まった。また直ぐに収まるとタカをくくっていたら、鈍感な私でさえ恐怖を感じる横揺れが続いた。余震も何度も続いた。朝起きると電気が付かない。ブレーカー上がっている? スマホで調べる 「停電」の2文字。あちゃーー(。-∀-)
でもま。数時間で戻るでしょ・・・ 会社から自宅待機の指示✉。念の為、食料確保しておくか、と出かける。
大手スーパーは軒並み営業中止。あるのに売らないって。理由はあるにせよ、企業として今、やるべき事を間違っていると怒りを覚える。
コンビニに客が集中。レジが使えず、手計算をしている所は全く列が進まない。コンビニ5件まわるが直ぐに食べられる物はスッカラカンでカップ緬やお菓子を買う。
その内ネットが寸断され、情報が入らない。水のシャワーを浴びたらする事なし。
夜は誕生会ケーキ用のろうそくで明かりを取る。町が闇で包まれた。私はここ数ヶ月、特に忙しい日々が続いていたので、何も出来ない事で図らずもこれが自分と向き合う時間となった。
翌朝も復旧せず。楽観視して昨日、あまり買っていなかった食料の調達へ。大手は休業。逆に小規模スーパーは普通に営業して生鮮食品も買えた。「これがスーパーとしてやるべき事でしょ‼」と強く思う。唯一の連絡手段SMSで知人と連絡を取り合う。区により復旧状態が違っている。皆、連絡ツールのスマホの充電が切れるというのが最大のネックとなっていた。
夕方6時半過ぎ電気が付いた。なんという幸せ。直ぐに知人に連絡。直ぐに洗濯機を回す。認知症の母の施設に洗濯物を何とか届けられる。ふーーーーー(*‘ω‘ *)
翌日、朝起きたら電気が付いて、当たり前に信号があり喉が渇けば自動販売機があり・・
なんと便利で不自由のない暮らしをしていたのだろう。不満や不平や憤りも平和に生活している前提での事であったと気づいた。
自分があたり前と思っていた、この平凡な毎日は実はとんでもなく豊かな生活でした。人生も半ばですが気づけて良かった。今はただ、ただ、そんな風に思っています。