わたしにとって かなり衝撃的なことだったので
書き留めておこうと思う。
私のこだわりのひとつに
「…してやってる」 と言われることが大嫌い というのがありました。
身内や恋人に限定で。
身内や恋人はきっと したいから努力してくれてるに違いなくて
なのに、「してやってる」と聞いたとたん
お互いの想いはぶち壊しになってしまって
なんだよ!してやってるのに!
はぁぁ?べつにたのんでねーし!
という流れになってしまうのが嫌だから
絶対感謝は忘れないから、~してやってるって言わないで欲しい と
今まで関わった身内と呼んでいい人にお願いしてきたのだけれど。
彼いわく、こういった個人的なこだわりは
嫌なら自分がしなければいいだけで、
きらいだ、と相手に伝えるまではしていいけれど
しないで欲しいとお願いするのは間違っているのだそうだ。
お願いして約束してしまうと それは拘束力を持ちはじめるから。
嫌いなのを知っていて、あえてその言い方をしたとき、
相手が何故その行動に出たか考えられなくなるから。
あくまでもどういう行動に出るかは相手に選択権があり、
それが相手を尊重することになるから。
そして、近しい人だからこそ、
善意発信で行動を起こしているに違いないと
相手の感情を憶測で捉えることも失礼だと。
好きで、したくてしていると何故言い切れるのかと。
そんな憶測から派生したことを元に
そこに個人的なこだわりを乗っけて
身内だからお願いしてもよかろう とは、あまりに身勝手な主張だと。
なるほど。
確かに彼は 「俺、これ嫌い」 「そういうの好きじゃない」 とは言うけど
「だからしないで」 とは言わない。
そして 依頼しないで相手に任せることで
ありがちなやりとり↓
「なによ!あなたが嫌だって言ったんじゃない!」
「俺は嫌だとは言ったけど あーしてくれこーしてくれとは言ってない
君が自分で選んでそうしたことなのに俺のせいにしないでくれないか」
「あなたが喜ぶと思ってしてきたのに!!!」
こーゆー見てるところが違うために起こる、
くだらないやりとりがなくなるってことにもつながるね。
よく 俺のせいにしないで って言われるのは
このためだったんだな。
いままでわからなかった。
好きだから、とか、
彼氏だから、夫だから、お母さんだから、我が子だから
わがままいってもいいじゃない って
自分の考え方をおしつけていたんだなって思った。
なんか、1ステップ上の考え方を教えてもらったと思った。
今まで自分の中に無かった考え方なので
これは取り入れていきたいと思う。
ちなみに、彼のこだわり
「自分が極力使わないようにしている、
”絶対”という言葉を多用する人とは仲良くなれない。」
同僚のご主人さんのこだわり
「後ろで手を組んで歌うやつは大嫌い」
友達の元旦那さんのこだわり
「自分のことを “おたく” と呼ばれるのが大嫌い」
母のこだわり
「つねるのと舌打ちは大嫌い」
一般的にダメなことと
個人的な好き嫌いに拠るものかどうか
分別つけられないとできないことだね。
そのためにも一般的なことを知っている って大事なことなんだな とも思った。