みんなの日記‐日記を読む‐

帰宅しました

2025/04/05 21:34jun
読まれた回数:18
あっという間に過ぎた10日間のスペイン旅行でした。帰宅して宅配スーツケースもさっき届き、荷ほどきもして、夕食を済ませて、漸く一段落したところです。
時差ぼけと長時間の飛行機移動で、すっかりくたびれてしまいました。明日は礼拝お休みして、身体のケアをしようと思います。

フラメンコは見ていて激しく心を揺さぶられました。イスラム少数民族のジプシーが迫害され、洞窟に潜み、そこで踊ったものがルーツだと聞きました。厳しい環境での生活を強いられ、生きる嘆きや苦しみ、愛をむき出しに表現されているようでした。
激しく足を踏み鳴らし、手をたたき、哀愁を帯びたギターにカンテ、そして強い視線で踊るバイラオーレ。生きるという事に底通する思いは共通で、だから共感と共に感動するのでしょう

パエリアも又イスラム由来の米料理だそうです。バレンシアのオレンジ農園で働く農民たちが皆で食べる昼食の料理が発祥なのだそうです。日本の炊き出しのようです。共に働くときは心を通わせ、一つ窯の飯を食べる。ススペインでは一つのパエリアパンのご飯を食べる。どこの国も同じと感じました。人間ですものね。そう思って食べるパエリアは日本のレストランで食べるのより、もっと力強い味に感じました。

  

そしてピカソのゲルニカです。

  

スペイン内戦時にピカソは共和国軍を指支持していました。フランコを中心とする反乱軍にドイツ軍やイタリアムッソリーニが援助して、スペインのゲルニカがドイツ空軍によって無差別攻撃をされたのでした。それを知り、パリ万博に、このゲルニカで起きたことを世界に知らしめる、という思いでピカソは1か月でこの大作を描きあげたそうです。パリ万博のスペイン館の壁画に飾られたこの絵は、万博終了後スペイン政府に入国を拒否されました。政府に批判的な作品、ミロの絵画なども紛失してしまったそうです。
アメリカにとどめ置かれたゲルニカは、ピカソの死後漸くスペインで総選挙が行われ、故国に帰ってきました。ついにピカソは自分の絵を故国スペインでは見ることが出来なかったわけです。
私は防弾ガラスなどに密封されていない、絵そのものを間近から鑑賞できました。

人類初の無差別攻撃。ゲルニカから世界は何を学んだのでしょうか。人間の愚かしさも感じた絵でした。



またスペインの思い出はちょこちょこ書いていきたいですが、本日はもう休むことにします。

お休みなさい・・ブエナスノーチェス

jun


junさんの新着日記