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訃報

2025/01/27 17:32jun
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寒中見舞いが届きました。尊敬する先輩、松本昌介さんの娘さんからで、先輩が昨年の3月に亡くなられた、と書かれていました。

松本昌介さん。私の高校の先輩で、母校の中高一貫化や教科書検定などについての学習会など、有志の会を作り、会長として活動して下さっていたのです。

松本さんは養護学校の先生を長らくされていて、その中で戦争中の障害児がどのように生き延びてきたのか、調査研究して本も何冊も書かれている先生です。

戦争に行けない子供は「ごくつぶし」と言われ、学童疎開も受け入れ先が見つからなかったそうです。そんな中、長野県上山田温泉の上山田ホテルが受け入れて下さり、集団疎開をすることが出来たのです。終戦後、親元に帰るのも一番最後。とにかく徹底的に差別されていたそうです。
松本さんは、障害者のために全力で戦われた方でした。障害のある者が安心して暮らせない社会は、健常者であっても決して安心して暮らせる社会では無い、とおっしゃっていたのが心に残っています。やがて誰でも年を取り、弱るし、病気にだってなるのです。
毎年奥様と、上山田ホテルを訪れて、宿泊されていました。
決して諦めないで、粛々と署名活動、講演会、執筆、議会の傍聴、陳情・・・座り込みなどもされていました。尊敬する大先輩でした。なんだかとても寂しいし、心にポッカリ穴が開いてしまったような気がします。

特別企画 戦争と障害者ー光明養護学校の学童疎開

読んでみていただければ幸いです。

私は自分の高校にとても愛着がありますが、それは楽しかった3年間の時間のほかに、母校で出会えた人のおかげでもあると思います。素晴らしい方たちが数多いらっしゃる中で、自分が末席に連なれる幸いを感じます。

どうぞ安らかに。



今日は昼食後、三男と池袋まで行きました。明日税理士さんが来るので、銀行口座の記帳など用事があったのです。明治通り沿いではなく静かな裏道を歩いていたら、お昼のニュースで報道されていた火事現場のすぐそばを通りました。すでに鎮火していましたが、辺りは焦げ臭い匂いと、規制線も張られていました。
連絡が取れなかった方たちの無事を祈ります。

2人で話しながら2時間近く、すごく大回りをして帰宅しました。
息子たちが通った学童クラブは高齢者や乳幼児、地域サークルなどが集える場所に変わっていました。図書館も2月から建て替えのために休館するそうで・・・知らぬ間にずいぶん変わっているのですね。

三男は少し元気に成りました。母も良く歩きました。

jun


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