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8月6日という日

2025/08/06 21:35jun
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祈祷会でした。夫も出席です。今日は80年前に広島に原爆が投下された日です。祈祷会のお祈りも、核の廃絶と、平和へのお祈りでした。

私は大学の研究室は放射の部屋でした。医療分野に限定した研究でしたが、それでも最終処分まで、人間がコントロールできるようになるものだろうか、と考えたこともありました。
広島・長崎で被爆して、3,11の福島第一原発、そして今世界では核の抑止力なんて言われています。何が正しい道なのか、知恵と導きを祈りました。


祈祷会の後は、夫とランチをして、その後ゴルフ用品屋さんで買い物しました。夫はクラブのカバーを全部新調しました。私はゴルフシューズを買いました。弟の小・中の同級生が経営しているお店です。夫は進められてパターのグリップ交換もしていました。


その後、二人で練習場に行き、120分の打ち放題で練習しました。
私は暑さで疲れてしまい、また具合が悪くなるのもイヤなので80分位で切り上げました。


夕食後、クローズアップ現代を見ていました。戦後80年。戦争に行った父。それからの歳月が映し出されました。私が産まれるまで、子ども時代、学生時代・・・それから結婚して、働きながらの子育てと、今につながっています。そんなに意識したことは無かったけれど、バブルや震災などなどいろんなことがあったのですね。

平和であるために、しっかり世の中を見て、声をあげる、選挙で自分の意思を表明する・・・改めて思った8月6日でした。

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#2 jun2025/08/07 09:09
ぎむれっとさん

お早うございます。体調、ご心配いただきありがとうございます。
何で不調だったか、思い当たらないのですが、復調できたし、こんなこともあるさ、とあまり気にせず、少しだけ自重しながら、ゴルフの練習したりしておりました。自分でもホッとしました。

昨日の、広島県知事のスピーチが心に残っています。全文がネットに掲載されていて、改めて読み返しました。戦争に突き進む人間について「自信過剰な指導者の出現・突出したエゴ・高揚した民衆の圧力・あるいは誤解や錯誤によって抑止は破られてきた」と語られました。ぎむれっとさんのおっしゃるように、戦争状態に置かれたら人間はどうなってしまうのか・・・誰しもが、そういった弱さを持つ者なのだ、と深く自覚してだからこそ平和を実現するための使命、努力は続けなければ、と思います。


県知事のスピーチでは、ペロポネソス戦争の時代から、力による均衡などは、いとも簡単に破られてきた、とありました。核による抑止は頭の中の概念、または心理的なフィクションで、それは万有引力の法則のように不変の物理的真理では無いから、とも言われていました。・・・全くその通りですよね。

核や有毒物質・細菌など・・・兵器にかける情熱と頭脳、資金を平和のために用いて欲しい物だと、心から願っています。


ところで、ぎむれっとさんのお父様も兵隊に行かれたのですね。しかも海軍とは!!
義母から、海軍さんは本当にステキな方が多くって女学生はみんな憧れていた、と聞きました。また中曽根さんは海軍で、選挙カーで回っていると、農作業の手を止めて、農家の女性たちは見とれていた、なんてことも言っていました。
我が父は、陸軍でした。江田島はモテた、と言っていたことがありましたが、海軍兵学校のことかもしれませんね。はっきりとは覚えていませんが。
父は中国に行き、野戦病院で仕事をしていたようです。終戦時は習志野陸軍病院だったと聞きました。でも、父は戦争中の話しはしたがりませんでした。ほとんど語りませんでした。自分が癌で入院していた時、もしも命を長らえることが出来たら、北支に行って遺骨の収集をしたい、と言っていました。本当に具合が悪くなってからは、お釣りの人生だから、なんて言っていたのも思い出します。

実際にお話しを伺う事は難しくなっていくのでしょうけれど、テレビに映されるガザや紛争地域の惨状をせめて自分事として受け止めていこう、という気持ちは持ち続けたいです。
#1 ぎむれっと2025/08/06 23:09

こんばんは。

体調が戻られたみたいで、安心しています^^

原爆投下の日。
核兵器を実験した日。実現した日。

戦争中、日本人も他の国で非人道的なことをしていましたし
中国の方を人体実験に使っていましたね。

そういう戦争時のモラルの変化について子供たちが学ぶことを願っています。

普段普通に生活している人が、戦争状態になったら
人殺しになること。

戦争を起こしてはだめっていうことの根本を学校で教えてほしいなとおもいます。

ちなみに
うちの母の初婚相手(兄の父)は、海軍でした。
写真残っていますが、めっちゃかっこいいです(制服もあり)
兄がイケメンと言われるのは、この遺伝かなと。
母の父も海軍です。
でも、負傷して家に帰ってきて、
大坂の大空襲の時に防空壕で転んで意識不明になり亡くなっています。
わたしの父(再婚相手)も海軍でしたが、経理の方の仕事をしていて、
戦地に行くことはなかったと言ってました。

実際に戦争を体験した人の話を聞くのはもう難しくなりますね。
平和は、私たちに残された使命なのかも。


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