今日は父の4回目の命日でした。
雪が大好きだった父
「オヤジ、今日も大雪だぞーーー!」
ということで、4年前に書いたブログを読み返して見ました。
以下4年前に書いたブログから↓
大雪にもかかわらず、沢山の方に弔問いただき有難かった
普通は四九日で納骨なのだが、避難区域の為に
お墓に入れることが出来ない。
仮設住宅に簡易的だけど仏壇を作り置いておくしかないな
告別式で最後喪主だった自分が挨拶させてもらった
ご会葬、ご焼香頂いた皆さんへのお礼と
父が避難所を点々とする心休まらない不安定な生活の中
ガンの発見が遅れた事。仮設住宅での暮らしで
心身ともに大きなストレスをかかえる中
何とか生きようと痛みに耐えながら続けた闘病生活
必ず自宅に帰れるという希望を胸に頑張ったが18日朝6:30
母が見守る中、病院のベットの上で静かに息を引き取った。
目を閉じた1,2分後に自分が病室に入った時は、まだ温かくて
寝ているような穏やかな顔でした。
最後は苦しむことなく、静かに、安らかに
目を閉じてくれたことは救いだった
ただ、自宅に帰してあげたかったし、
自宅から天国に送ってあげたかった
父もそれを望んでいたし、春になれば帰れるかもという希望を糧に
治療に励んでいました。その願いが叶わなかったことだけが心残り
今まだ、たくさんの人が原発の事故を受け避難生活を
余儀なくされています。
生まれ育ち慣れ親しんだ故郷を奪われ、平穏な日々を奪われ、
みんながバラバラに避難しているためにコミュニティーを破壊され、
いつ帰られるのか分からない不安と戦いながら
心の休まらない暮らしを強いられています。
そんな方々が一日でも早くもとの生活、我が家に
帰れることを心から祈る。
父は病気が分かって余命宣告を告げられた時、自分に言った
「津波で流されたちっちゃい子に比べれば長く生きたし、生かされた、ありがてぇし感謝している」
そして、亡くなる前日の夜、
「俺が親父見ているから、ごはん食べてきなよ」と母に言ったところ
ほとんど意識の無い父が、病室を出て行こうとする母を手招きで引きとめ
母の手をギュッとにぎり、振り絞るような声で
「ありがとう」と・・・
あと少しの時間しか無いというのを分かっていたのだろう
死の宣告を受け死を覚悟した時
そして死を目の前にした時
父が言った最後の言葉は
「ありがとう」という感謝の言葉でした。
66年の締めくくりの言葉が感謝の言葉
母に看病され、最後母に看取られた
父の人生は幸せだったと思います
そんな父の生き方を尊敬します誇りに思います
五経にひとつ礼記に
「報本反始」という言葉があります
これは先祖や天地を敬い感謝しその恩に報いるという言葉です
今自分がこうして生きている、生かされているのは
父、母、おじいちゃん、おばあちゃん、そしてそのご先祖様たちが
脈々と命をつなぎ紡いで来てくれたからです。
そして周りの人たちに支えられ、周りの人たちの助けがあったからこそ
それを忘れず、それに感謝し、その恩に報いることが出来るように
残された家族、力を合わせ歩んでいきたいと思います。
いろんな人に励ましの言葉を頂きました。
ありがとうございました。
震災から2年。親父の死から1年
生かされている自分の役目を全うしなければ。
そう心に言い聞かせた震災2年目の今日でした
もう4年?まだ4年?
日々いろんなことが起こるけどなんとかやってるよ!
オヤジ天国から見守っていてくれよ!