寒い東京です。外に出る気がしなくて、朝からずっと在宅でした。
孫の写真を整理しながら、自分の子供時代の記憶について考えていました。何歳くらいから記憶が残るものなのでしょうね。
私の記憶は、多分3歳くらいだと思いますが、自宅での冠婚葬祭のワンシーンです。沢山の食器や料理と、父と祖母の姿が残っています。それは、断片的なワンシーンです。もう少し大きくなって幼稚園くらいの記憶はもう少しいろいろ思い出しますが、鮮明に思い出すのは、自分がしでかしたことです。
誰も居ない和室にあった大きな箪笥。その引き出しを順番に引き出して、階段のようにして、てっぺんまで登り、(しかも弟を抱っこして) そこでバランスを崩して背中から下に落っこちたのです。私は多分頭を打ったのでしょう。弟は泣いたようです。大きな音もしたと思います。それからどうしたのかは覚えていないけれど、箪笥を登る高揚感や、ワクワクしたスリリングな楽しさを覚えています。
全ての積み重ね、経験の果ての今の自分なのだけれど、進学や仕事、結婚などの人生の方向を決める大きな出来事のほかに、育った家庭環境や周りの大人によっても随分影響を受けていて、性格や考え方のベースになっていくのだな、と感じたりしました。嬉しい幸せな記憶ばかりでは無いけれど・・・それは誰でも同じです。幸不幸がないまぜになって人生は続いて行くのでしょう。そんなことをぼんやり思った本日でした。
夫が出かけてからは、三男と2人で彼の子供時代のことなど話したのですが、その時に、息子が私と夫についてどう思っているのか、けっこう真面目に話しました。
夫婦の関係も、夫の事も私の事も、良く見ているな、というのが感想です。そしてその見方は、あながち間違ってはいません。むしろ鋭いし、本質を見抜いている気もしました。厳しい意見も言われたけれど、お母さんのこと、人として尊敬している、と直接言われて・・・私はビックリ。面食らいました。でも私の姿勢は伝わっているようにも感じ、嬉しくもありました。私を私たらしめている根幹。それは信仰なのだけれど、それもわかっているのでしょう。・・・三男の一番初めの記憶って何なのかしら。いつか聞いてみたいです。幸せな記憶が沢山ありますように。
さて、そろそろ夕方の家事をしましょう。
2人だから、簡単夕食です。