久し振りの漢文講座に行ってきました。教会の作業で1回休み、8月は夏休みで休講・・2か月か3か月振りでした。あっという間に時間は過ぎてしまいますね。季節は夏のまんまだけれど。
12時半にお茶の水のカフェでAと落ち合って、3時の講座開始まで、ランチしながらおしゃべりしていました。
Aは日舞のお稽古を終えてやってきます。今は秋の舞台に向けて練習中だそうです。演目はけっこうハードな踊り。筋トレもしっかりして臨む、と言っていました。そして受験していた保育士試験は無事に合格したそうです。
私と同い年で、資格試験に挑戦したり、舞台に立って表現したり・・凄いなぁ。と感嘆しました。
私はついに教会が完成したことを報告して、動画の教会案内を見てもらいました。さらに私たちの同級生Mとペンキまみれで作業している写真も見せました。高校時代の行事週間みたいだね、なんて懐かしい話題も出ました。
Aも私も息子が海外に駐在していて、Aの息子さんは今年の春、日本に戻っています。もうしばらくは国内に居られそうだという事でした。我が家の息子は全くわかりません。そもそも夏休みだって9月に取得できなくなったらしく、お互いに息子たちの事では心配が尽きないね、なんて話して慰め会いました。
漢文は荘子。混沌と寿ければ(いのちながければ、と読むそうです)恥多しの二つを取り上げての授業でした。
混沌のお話は興味深かったです。南海の神と北海の神が居て、その真ん中の神は混沌。ある時、南北の神が混沌のところで偶然出くわし、混沌から手厚い歓待を受けるのです。それで南北で相談して、混沌にお返しのお礼をすることにしたのです。・・人間には7つの穴がある。目が二つ、耳が二つ、息をする鼻腔が二つ、それに物を食する口が一つ。・・・南北の神が混沌に一つずつ孔をあけて行き、ついに7つめが終わったら、混沌は死んでしまった、というお話てした。
混沌とは太極で形而上的世界。万物未分化の状態ですべての大元ととらえていたそうで、人と同じように7つの穴をあける、ということは無為の世界である混沌が人為の世界へ、壁、一線を越えてしまったということで、死んでしまつたのだ、と解説されました。荘子の考え方、道家の発想というのが少しわかりました。
奥深い漢文の世界。今の日本にも底通している部分が多々あって漢字一つとってもその意味、由来まで解説していただくと、なかなかにおもしろく、興味は尽きません。頭に喝が入った有意義な時間でした。
明日は礼拝に蜂屋さんが来るそうで、以前から約束していた南部鉄瓶を差し上げることになりました。お手入れが不十分だけれど、あと1回くらい丁寧にお茶で煮出せば被膜も出来るでしょう。使っていただければ幸いです。
おやすみなさい。