献堂式が終わり、私は一段落していますが、夫はまだ外構などの作業があり、8時前にはお弁当を持って教会へ出かけて行きました。予算が足りない分は自主工事すると、決めて率先して動いてきてくれました。蜂屋さんたちもまだかかわって下さいます。私も一緒に頑張ろうと思いも新たです。
今日は午前中、いつもお花のプレゼントをしてくれる友人のところに出向いて、献堂式の記念品と写真集をお届けしてきました。彼女はカソリックの信徒なので、教会の規模や財力など違いはありますが、献堂を一緒に心から喜んでくれました。私は彼女の前では、すごく頑張った!!とっても大変だった!!と素直に言うことができるのです。・・・年内にはきっと落ち着くね、と二人で話し、クリスマスを楽しみにもうひと頑張りしよう、と励まされ、元気が出て帰って来ました。彼女が出してくれた冷たい甘酒、美味しかった。生き返りました。
午後からはたまりにたまっていた会堂新築関係の資料を整理しました。6年越しの記録です。予算1億2000万でスタートして、第一回目のプランと見積もりは2億4000万でした。その時の教会員向けの説明会記録が目に留まりました。
コロナで対面での意思疎通ができない今、進める必要があるのか。
立ち止まるべき。
こんな予算オーバーする設計者は解任して、プロポーザル方式からコンペ方式に変えるべき。
コロナが落ち着いて物価が安定するまで中止すべき。
平屋建てにして牧師館は別にしたらどうか。などなど
本当にいろいろな意見が出されていました。読み返してみて、改めて思ったのは、自分に都合の良いように考えてしまう物なのだな、ということでした。
コロナが終われば物価が下がる、落ち着くと思い、事業をストップしてもその間の耐震性や建物の安全性は担保される、と根拠なく思えるのだな、と感じたのです。予算という大きな障壁の前には、そもそもの耐震性不足、危険性については、なぜだか根拠なく大丈夫だと思えてしまい先延ばしすることこそ正しい、と言う。正常性のバイアス。誰もが陥りやすい心理状態だとは思うけれど、中断によって危険な状態は益々悪化するわけで、その責任の所在は明らかにされないし、もっと良い方法、代案も示されてはいませんでした。
楽しい思い出では無いし、献堂式のプログラムにサラッとまとめた会堂建築の経緯があるので、この記録も含めて大半の資料は処分整理しました。
それでも、結果が良ければ万々歳です。
安全な会堂が完成して、みんなが喜んでいるのですから。
友人からまた庭のお花をいただいてきました。今夜は十五夜。中秋の名月ですね。月は見えるでしょうか。お団子ではなくて、献堂式のお土産のお菓子をいただこうと思います。だいぶ妙だけれど、良しとしましょう。