朝から、すごい雨降りです。教会の自主工事が無いので、一日静かに休養しています。夫もまだまだ本調子ではない様で、時差ぼけもあるようです。おとなしい夫。静かな我が家です。
少し余裕があるので、友人の事を書いてみたいと思います。
私が通っていた高校はかなりの進学校でした。学校群という制度になったとはいえ、ほぼ100%に近く、みな進学するような学校でした。
そんな中で、友人のNは家庭の事情で進学を断念して、卒業と同時に役所に勤務したのでした。私たちが大学に通い、サークル活動や、さらにその先の進学など、自分の事だけ考えて時間を使っていたのとは大違い。今にして、公務員としての勤務をずっと続けていたNはどんな気持ちだったのかな、と思うのです。
それから50年近くが過ぎて、お互いに年を取りました。人並みに私もNもいろいろな経験をしての今、これから何をしたいか、という事を以前話したことがあったのです。
Nは公務員として、福祉の分野でかなり実績を上げていました。今年の4月に役所を完全に辞めることが出来て、請われてある施設で働いているのですが、財政的に厳しいので、加算が付く資格を自分が取得して還元しよう、と思ったそうです。有資格者を雇用するより経営的にも良いし、資格試験をうけるのもこれからの仕事や自分の人生にプラスになるだろう、と思ったというのです。もとより、こなしてきた仕事の内容から考えれば、資格を取得するのに十二分の力量だと思われました。それに、ようやく子どもたちも巣立ち、(夫はずいぶん前に旅立ってしまい、大変な思いで子育てしていました)親も見送り、今迄は資格取得など考える余裕が無かったのでしょう。
私はNのこれからの仕事や老後の暮らしにプラスになるし、成績優秀だった彼女なら絶対に取得できる、と思っていました。
そうしたら、受験資格が無い、という事が判明したのです。大学で必要な単位を取得していることが、受験の条件とは。・・・試験さえ受けさせてもらえない・・・その資格を持つ人たちを指導監督する立場で長年仕事をしていた、ということも特例も何も無くて、散々調べて、結局受験は不可能だ、と諦めた、と言っていました。
たかが学歴。されど学歴。
Nにとっては大きな壁になってしまったようでした。
もっと若い時に、資格取得に動いていれば、通信大学だってあるし何とかできたのかもしれないけれど、まったくそういう事を考える余裕も無かったからねぇ・・・とNは仕方ない、と言いちょっとため息をつきました。
いくつになつても、学ぶことは権利。
資格は取れなくても、関連分野の聴講生にでもなって勉強してみたい、と言っていました。
Nこそ大学に進学出来れば良かったのに。そう思いながらNの話を聞いていました。
今日の我が家のお花。そっとNのために祈りました。
求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた・・・
心の中の言いあらわせない祈りは
すべてかなえられた・・・
私たちの残りの人生が豊かでありますように。