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映画を見てきました

2024/04/30 17:09jun
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朝から出かけて、大泉学園のゆめりあホールというところで映画を見てきました。
山田火砂子監督の「わたしのかあさんー天使の詩ー」という映画です。

ざっくり言うと、両親が障害者という家庭で育った少女が長じて障害者福祉に携わる、というお話でした。山田監督ご自身のお子さんが重度の障害なのだそうです。

上映前に、監督ご自身が舞台に立たれて、ご挨拶をされました。私はそれがとても印象に残りました。監督は90歳を越えていらっしゃいます。70歳を過ぎてから監督になり、今回の作品で10本目なのだそうです。もしかしたら、とは思っていましたが、監督はクリスチャンなのだそうです。今日の映画の中にも教会と牧師先生が登場していました。3年生になった少女が、自分の親を恥ずかしいと思い、泣き悲しむ姿に聖書の言葉が語られていました。

山田監督の映画はご自身の信仰告白でもあるのだと思い、その生きる姿勢、信仰に深く感動しました。11作目を準備していて、香川豊彦の奥様の話だそうです。


会場の出口でカンパが募られていました。
監督ご自身もよろしくお願いします、と声を上げていました。

パンフレットと本を買って、私もささやかですが協力しました。

弱者の強さ、愛の力。自分の為すべきこと。役目。
そんなことを考えながら帰って来ました。11作目も期待しています。

まだまいろいろなところで上映されるそうです。
見ていただきたいな、と思います。




3件
#3 jun2024/05/01 20:11
ぎむれっとさん

今晩は。朝は時間切れで中途半端で投稿してしまいました。

人は誰しも、神の前では全く平等である。・・・言うは易しですが、行うは・・・
それを実践して、何の先入観も無く人に接していたのは、障害がある、天使だと言わしめた清子のお母さんだけだったように思った映画でした。

自分の中の物差し、人とくらべてしまう心を突き付けられたようにも感じました。

補い合いね認め合って暮らしていける世の中を切望してやみません。

#2 jun2024/05/01 09:39
ぎむれっとさん

お早うございます。昨日の映画では3年生の清子が自分の母親が他の母親と違う事に気づき、馬鹿、と揶揄されて、恥ずかしく思い、なんで自分の母親、父親はああなのか、とわが身を悲嘆して泣き悲しむ場面がありました。清子のお婆さんが、障害を持つに至った経緯や、親としての自身の関りを話したり、牧師先生のお話が、清子の心を少しずつ動かして行ったように描かれていました。

本当に母親の愛は無償です。お婆さんは、どうやって日本脳炎の後で障害者になった娘を育ててきたのか、淡々と描かれていましたが胸を打ちました。障害が有ろうとなかろうと、母親には関係無いのでした。子供の幸せとは何か、を今ある現実の前で精一杯考えて行動する、そんな姿でした。
また清子のお母さんも、清子のために、精一杯愛を注いでいるのでした。それが恥ずかしかった清子も次第に見る目が変わっていきました。お母さんは、絶対に悪口を言わないし、意地悪もしない。誰に対しても優しい・・・そう気づくエピソードは、雨の公園でずぶぬれになっているホームレスの人に清子の母親が傘をプレゼントするシーンだったかと思います。学校帰りに遠くから見ていた清子は、なんであんな人に・・・と思うのですが、そのホームレスの人が去っていく清子のお母さんにお礼を言うのです。
だれも俺達みたいなもんに親切にしてくれないのに。
有難うよ!あんたは神様みたいだ。いや、天使様だ。

清子が自分の中にある差別意識にも気が付いた瞬間だったように思いました。母親を走っていって追い付いて、自分の傘に一緒に入って帰るシーンが印象に残っています。

祈祷会に行くので一応これで投稿します。
#1 ぎむれっと2024/04/30 20:38
こんばんは。

親の愛は無償ですよね。
見返りを求めない、ただ愛している。

それだけで・・・幸せな子どもだと思います。

障がいってなんでしょう?
もしかして、自分の中のものさしが
決めていることではないのかとか。
自分の中のものさしが、差別を生んでいるのではないのかとか。

補えるところは補いあって生きられる世の中であってほしいと思います。

小さいコミュニティで言えば、家庭や社内でもそうですけど^^;


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