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3月10日

2024/03/10 20:42jun
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3月10日、日曜日。いつものように礼拝に行きました。今日は拡大運営委員会で蜂屋さんが来てくれる日です。川村さんとお二人に、山本理顕さんのお祝いを直接お伝え出来ました。お二人ともニコニコ。喜びが伝わって来ました。会議の前には、教会員の方全員で建築中の現場に行き、建て方の終わった建物の中に入って見学をしました。ごく一部分しか見学できませんでしたが、皆さんにとっては、新教会のイメージが明確になったことでしょう。とても喜んでいました。礼拝堂のトラス構造や屋根、そして南面から入って来る光に、はしゃいでいるようにも見えました。嬉しいです。完成が待ち遠しいです。

会議が終わってから、急いで買い物をして帰宅しました。今日は3月生まれの誕生祝い食事会を、我が家ですることになっていたのです。夫の体調不良で延期しようか、とも相談したのですが、今朝すっかり回復したようで元気そのもの。予定通りに皆で食事をしました。

3月生まれの長男にも、今日食事会をして、みんなでお祝いしているよ、と伝えました。有難う、と一言返信がありました。

3月10日は、我が母親にとっては東京大空襲の日、という忘れられない日のようでした。私にとっては、浪人した長男の第一希望の合格発表の日でした。雨が降っていた日で、合格電報が届いてから、夫と三人で合格発表を見に行ったのでした。弟たちも含めて我が家族は大喜びしていました。でも、我が母との会話ときたら・・・

何を喜んでいるの?

〇〇が合格したの。

合格発表はいつだったの?

今日よ。3月10日

ああ、東京大空襲の日だ。焼野原になって沢山亡くなったのよ。何を喜んでいるの?

だから、〇〇が合格したの・・・

という会話の繰り返しでした。認知症だったから仕方が無いのだけれど、長男は母の中ではずっと浪人生のままだったような気がします。大学生になってからも、合格発表はいつなの? と聞かれましたから。

長男に連絡して、あの時の3月10日をちょっと思い出しました。20年近く時間が過ぎたのですね。
食事をしている時に、その時のことが話題になり、皆で笑いました。
今は、東京大空襲の話題より、3月11日の震災のニュースがほとんどだなぁ、と思いました。空襲から79年過ぎているのですね。

3月10日。今日は平和を祈りつつ、母の事を思い出した日でもありました。

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#4 jun2024/03/12 10:03
わんこさん

お早うございます。わんこさんも息子さんの進学に際しては、ハラハラもやもやさせられるという経験をされているのですね。我が家、息子が3人なのでその3倍でしたが、長男に比べたら可愛いものでした。わんこさんにはお嬢さんがいらっしゃるのですよね。女の子というのは、息子のようなことは無い、しないのかしら、と想像したりしています。

終わりよければすべて良し・・・息子も親になれて、子育てしていく過程で、少しは親の気持ちがわかるようになってくれたら、と願っています。

東京大空襲、東京大空襲、と壊れたレコードのように繰り返す母親と、息子の行く末を心配しまくっていた自分、そして気が抜けるほどホッとした自分と、3月10日というとその時のことが思い出されてしまう私でした。
#3 わんこ2024/03/11 19:47
ひええー入学金が無断で予備校代に(*_*)それは胃の痛い経験ですね。

私の息子も大学の推薦を親に無断で断って一般受験に周りました。理由は面接練習が面倒だから。。でした。
同じところになんとか受かったので良かったですけど、どうして男子はこうなんでしょうねえ。

終わり良しで良かったですね。
#2 jun2024/03/11 15:45
わんこさんへ

息子の大学は、ご想像にお任せしますが、昔の一期校(私の時代、昭和の話です)とか二期校など、国立大学の合格発表日は3月10日の所が多いと思います。

自慢の息子、という気持ちより私は心底ホッとしたのです。
その前年に合格をいただいた大学に入学するものだ、とばかり思っていて、入学金も渡したのでした。手続きも自分でしたはずでした。私はウキウキと、入学式にも行ってみたい、と思い、息子に入学式はいつなの? とたずねたら、入学式は無い、という答えでした。・・・無断で、予備校の試験を受けて、予備校にお金を払い込んでいたのでした。それからの大騒ぎ、想像してみてください。修羅場というのでしょうか。私は息子に裏切られたような気持になり、息子は息子で相談したら認めてくれたのか、と詰め寄り、謝ろうとはしませんでした。・・・必ず合格できるなんていう保証はどこにも無いのです。今年合格した大学だって翌年合格できるとは限りません。そしたらどうするの? と聞いても、考えない。行きたいところに行くだけだ。という返事しかしなかったのです。どうしてもそこで学びたい理由があったようですが・・・親としては辛かったです。

だから余計に3月10日が忘れられないのです。もし不合格だったら、長男はどうするのだろうか。親としてはどうするのが良いのか。そんなことばかり考えていましたから。

今でも思い出すと、強硬予備校入学した息子との親子関係が甦り、悲しくなってしまうこともあります。母親失格なのかなぁ、と思う事もあるのです。でも今は、進学した大学でお嫁さんに出会い、可愛らしい孫にも会えたのだから、くよくよ考えるのは止そう、と思えるようになりました。過去は変えられないですものね。

長々とごめんなさい。母親くらい、親ばかでも良いから自慢の息子、と心から思いたいですが、そう言い切れない私はやっぱり母親として欠落している何かがあるのかな?

もう少し時間と、私自身の修行が必要です。
#1 わんこ2024/03/11 12:43
東大なんですかね。
この辺の優秀な大学は合格発表日が決まってますものね。

空襲も大震災も忘れてはいけない出来事ですが、親にとっては子供の大きな出来事は忘れられないですよね。

ご自慢の息子さんですね(^^)
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