3月10日、日曜日。いつものように礼拝に行きました。今日は拡大運営委員会で蜂屋さんが来てくれる日です。川村さんとお二人に、山本理顕さんのお祝いを直接お伝え出来ました。お二人ともニコニコ。喜びが伝わって来ました。会議の前には、教会員の方全員で建築中の現場に行き、建て方の終わった建物の中に入って見学をしました。ごく一部分しか見学できませんでしたが、皆さんにとっては、新教会のイメージが明確になったことでしょう。とても喜んでいました。礼拝堂のトラス構造や屋根、そして南面から入って来る光に、はしゃいでいるようにも見えました。嬉しいです。完成が待ち遠しいです。
会議が終わってから、急いで買い物をして帰宅しました。今日は3月生まれの誕生祝い食事会を、我が家ですることになっていたのです。夫の体調不良で延期しようか、とも相談したのですが、今朝すっかり回復したようで元気そのもの。予定通りに皆で食事をしました。
3月生まれの長男にも、今日食事会をして、みんなでお祝いしているよ、と伝えました。有難う、と一言返信がありました。
3月10日は、我が母親にとっては東京大空襲の日、という忘れられない日のようでした。私にとっては、浪人した長男の第一希望の合格発表の日でした。雨が降っていた日で、合格電報が届いてから、夫と三人で合格発表を見に行ったのでした。弟たちも含めて我が家族は大喜びしていました。でも、我が母との会話ときたら・・・
何を喜んでいるの?
〇〇が合格したの。
合格発表はいつだったの?
今日よ。3月10日
ああ、東京大空襲の日だ。焼野原になって沢山亡くなったのよ。何を喜んでいるの?
だから、〇〇が合格したの・・・
という会話の繰り返しでした。認知症だったから仕方が無いのだけれど、長男は母の中ではずっと浪人生のままだったような気がします。大学生になってからも、合格発表はいつなの? と聞かれましたから。
長男に連絡して、あの時の3月10日をちょっと思い出しました。20年近く時間が過ぎたのですね。
食事をしている時に、その時のことが話題になり、皆で笑いました。
今は、東京大空襲の話題より、3月11日の震災のニュースがほとんどだなぁ、と思いました。空襲から79年過ぎているのですね。
3月10日。今日は平和を祈りつつ、母の事を思い出した日でもありました。