以前から誘われていた漢文の勉強会に行ってみました。
湯島聖堂の斯文会という公益財団法人が主催している本格的な内容の講座なのですが、講師は高校の先輩で永らく教鞭をとられていた方です。去年の屋形船でお知り合いになったのです。
凄く久しぶりの講義は、頭に新鮮な刺激になりました。
題材は論語。時代背景、英訳した論語の一文と比較したり、とても内容豊富で、興味深く、面白い内容でした。講師の先輩の力量も素晴らしかったです。
とてもユーモアに満ちた講義の進め方で、こんな先生に高校時代から漢文を習っていたら、きっとその魅力に取りつかれて、好きな教科になっていただろうな、と思いました。
三十にして立つ・・・立つとは、自己を確立した、ということ。これが英語だとAt thirty, I sttod firm. 意味が伝わりきらない感がありますね。
四十にして惑わず・・・不惑なんてとんでもなくて、四十は惑いの真っただ中 At forty,I had no doubt 迷いがなくなる、という感じかな。 五十にして天命を知る・・・天から与えられた使命を悟る。天という概念は何ぞや。英訳だとHeaven
そして六十にして耳順・・・どんな意見であっても素直に聞けるようになる。これは講師の先生が高校時代に、単に耳が遠くなったからだ、と解釈したのだそうな。そして七十にして、心の欲するところに従えども、矩(のり)をこえず。心の赴くままであっても、人間社会での規範を踏み外すことはなくなった、という意味だと解説されましたが、高校時代は、ついに寝たきり老人になったのでは、なんて思いながら授業に出ていた、と話してくれました。英語はAt seventh, I couid follow what my heart desired, without transgressing what was right.七十でそんな境地に到達できるとは、とうてい思えない。
けれど、とにかく知的に面白く、集中した時間でした。来月も出席しよう、と決めました。そして高校時代の自由闊達な学びの雰囲気も甦り、とても楽しい時間でもありました。すごく良く遊んだけれど、また良く学んだ時代でもあったのですね。
こんなご縁がいただけて、我が母校に感謝です。
夫は、群馬で会合があり、今日は昼過ぎから群馬に帰っています。夕食は三男と二人だ、と思っていたら、次男がやって来ました。急遽、おかずの品数を増やしました。チキン南蛮のタルタルソースは胆振ガッコのタルタルソースにしたのですが、なかなか美味しかったです。
明日は教会総会です。私は会計監査をしました。無事に全部の議案が採択されますように。