朝一番でのリンパマッサージでした。たっぷり2時間。バリバリの背中や腰、パツンパツンの手足など、流していただいて、随分楽になりました。ただ先生がいつもより言葉少なで、疲れているように見えました。
施術が終わってお茶をいただきながら雑談して、理由がわかりました。お母さま、つまり私の大学同級生のお母さまでもあるのですが、今年93歳になられたそうです。そして弱ってきて、いろいろなトラブルがあるのだそうです。
兄弟姉妹で手分けして、ヘルパーさんに入ってもらえるようになったそうなのですが、玄関に仁王立ちして家に入れず、ヘルパーさんが、では帰りますけれど、残してある品物の回収をさせていただきますね、と室内に入ったら、殴りかかってしまったのだそうです。警察、救急車、仕事も中断して皆が集まり、大騒ぎがあったそうなのです。
最晩年になり、攻撃性が増して、何かでスイッチが入ると火事場の馬鹿力みたいな腕力を発揮してしまうのだそうです。誰も止められないの。と先生が疲れている理由がわかりました。
自分の母親を見ていても感じたのですが、結局のところ、生きてきたようにしか死ねないのだ、と感じています。生きてきたように老い、理性で折り合いをつけていた素の自分が露見してくる。僻みっぽいのは、誰かをずっと羨ましく思っていたから。怒りっぽくなるのは、常々誰かへの怒りが渦巻いていたのでしょう。
自分の本当の姿というのは、一番身近な家族には遠慮することなく露見するのかもしれません。感謝するより、非難して、不満をぶちまける・・・あるあるのような気がします。結果、一番身近でお世話する人は疲れ果ててしまう。先生はそんな状態だったようです。
老いた自分の姿は、それまでの生き様が投影されている。そう考えると恐ろしい気がします。93歳までお一人できちんと生活されていた気丈で頭の良いお母さま、最後まで一人で頑張ろうと気を張り詰めないで、もうお子さんたちに甘えたって良いのです。それは子どもたちに迷惑をかける、ということとは違う気がします。
ヘルパーさんや、誰かの手助けを受ける事、それがすんなり受け入れられるように、と思わずにはいられませんでした。
私は一人でちゃんとできる。子供にもだれにも迷惑はかけないように後始末もしてある。そうおっしゃるそうですが、それも不遜のように思えてしまいました。
でも・・・誰もがみんな通る道。年を取ることは哀しいことでもありますね。