朝方、かなり激しい雨だった東京ですが、出かけるころには雨も上がり、空気もしっとりと、歩いて教会へ行くには良い日でした。夫は早朝山に出かけ、日曜なので次男も出勤してきません。(もう我が家がリモートオフィスみたいです)それで三男と二人で少しのんびりと朝食をいただきました。牧師先生が私に貸して下さった本を、三男も読んでみる、と言っていたので、その感想などをお互いにちょっと話したりしました。こんな話ができたのは、二人だったから。タマにはこんな時間も良い物です。
礼拝の後、牧師先生と、三男の事や、夫のことなど個人的に少しお話することができました。 手放して、委ねること、私がかかわるのはここまで、というリミットを設けることがとても大切だ、というアドバイスをいただきました。
三男に関しては、通院しだした病院に幼少期からの生育記録などをお話した方が良いのではないか、と私は思っていたのですが、牧師先生は、三男が自分で通院を始めた場所なのだから、そこには親は立ち入らない、彼だけが医師と関係を築せる場所が必要なのではないか、という意見でした。息子の成育歴など必要があれば、医師は息子に伝えるだろうし、その時どうするかは息子経由で、彼の意見も尊重して決める事で、とにかく先回りして立ち入らないこと、と言われました。
息子が家、親から離れて自分独自の関係を持つ場が必要で、一歩踏み出したのですよ、と言われました。相談されればアドバイスする、後は見守る、私のリミットはそこまでで、後は息子自身の問題だし、彼に委ねること・・・本当にその通りだと思いました。
夫とのことも、会社をしていた時ならいざ知らず、もう個人の生活の問題なのだから、自分の事は自分でするのが大原則で、昨日のような場合に、もし私に頼みたいなら、その旨を伝えることで、それで腹を立てている夫には厳しい意見でした。私の家庭内での役回りにもリミットを設ける事。夫が自分で困ったりで恥をかいたりする経験をすることがあるかもしれないけれど、それは夫の問題だから、やはり私が先回りしたり、尻ぬぐいはもう辞めること、そうしないと、ずっとこのまんまだよ、と言われました。そうかもしれません。必要な意見は伝えるけれど、それを受け入れるかどうかは、夫の問題。そして一緒に行動しない、とか怒鳴ったりとかされると不穏な心情になりがちだけれど、それにも左右されないように。相手の感情に振り回されない線引きをすることですよ、とも言われました。
うまく書けないけれど、いちいち全てがもっともなことで、自分がやり過ぎている事も反省しました。自分の感情のコントロールも自分でする。家庭内の調整役は母親だけの仕事では無いですよ、という先生の言葉に深く納得しました。
今日の詩編購読は第1章でした。流れのほとりに植えられた木は時が巡り来れば実を結びその葉もしおれることが無い
それぞれが自立した大人として立ち、愛情で結ばれた家庭。信仰と祈りの流れのほとりに私たちは居るのですから、必ず実を結びますよ、と話していただき希望になりました。時が巡り来る、その時を待ちましょう。
ダーリンも山の谷川で少し頭が冷えていますように。