会社の検診でひっかかった次男が再検査に行きました。予約時間は12時です。
午前中、息子はリモートで仕事をしていました。私も昨日さぼった分、朝からガンガン動いて家事を片づけて、それから祈祷会へ行きました。家で次男の様子を見ているのがなんだか重苦しくて、少し早く家を出て、いつもとは違う道を歩きました。きんもくせいの良い香りがしていて、お天気も良くて、心が軽くなったように感じました。
お昼、次男を送り出してから、彼が帰ってくるまで3時間半。昨日の続きの読書をして過ごしました。
息子の報告では、血液検査、心電図、心エコー、レントゲンの検査をして、結果は異常なし、健康そのものだ、ということでした。
会社の検査結果をまず見て、担当して下さった先生は、大至急大学病院に廻して、手術をしなければならないかもしれない、と思われたそうです。超特急で当日検査の予約をして下さって、結果まで出して下さったようです。結果は異常なしで、心臓の肥大も水が溜まっている、ということも無かったそうです。不思議に思い理由を訊ねたら、先生も分からない、というお返事だったそうです。でも、何はともあれ良かったです。
ホッとしました。会社に本日の結果報告をして、次男の心配事は解消しました。良かった!!
息子が帰宅するまで読んでいた本に、時間についてのことが書かれていました。
タイパなどと、時間効率を表す言葉もあるくらい、現代は時間をかけない、短時間が良いのだ、という風潮にあるようです。待ち合わせなどで待たされたりすると、自分の時間を浪費させられたような感覚にもなる、とも書かれていました。こういう時間に対しての感覚については、産まれた時から、自分の寿命、持ち時間というのが決っていて、だからそれを1分1秒たりとも無駄にしない、という感覚になるのかもしれない、と書かれていました。手持ちの時間から消費して、使っていってしまう、減っていく時間の貯金。ラグビーやサッカーみたいにロスタイムの延長があるわけでも無い。引き算していく考えです。この考えとは別に、日々与えられていく時間、という考えが示されていました。引き算していくのではなく、与え続けられる足し算の時間です。今という時の上に与えられ続ける時間は、想いを積み重ねていく時間でもある、と書かれていました。待ち合わせで待つことも、その人の上に思いを馳せる時間、タイパの悪いお料理もそれを食べる自分、誰かのために思いをめぐらせる時間。そう考えると、日々与えていただく時間には、様々な思いという利息まで付いてくる「時」なのだ、と書かれていました。減っていく時間を無駄にするまい、時間が無い、と戦うように過ごすのではなく、今与えられているこの時を受け入れる過ごし方です。
ちょうど息子の帰りがおそいなぁ、なんて思いながらたまたま読み進めたページに書かれていたのです。この時間は息子への思いが詰まった時間。いらいらはらはらしないで今与えていただいた時間を過ごそう、と思いました。ほどなくして息子は帰宅したのですが、三男の事も含めて、ゆっくり待とう、これは与えていただいた時の利息なのだから、と改めて思いました。
さて、健康そのものの息子に夕食を作りましょう。