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今日という日と思い出と

2023/08/12 21:44jun
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今日は、我が家は三男も参加して教会の作業でした。土曜日でお休みの方もいらして、参加人数も多く、とてもはかどりました。ただ、金属廃棄物の買い取り業者さんがお休みに入っていて、こちらは16日までトラックに積みっぱなしになってしまいますが、仕方ありませんね。もうあと一息です。

三男もずいぶん頼もしく感じられました。夫と手分けして皆さんに指示を出して合理的に仕事が進むように工夫していました。若いしパワーもあるし、彼の力は大きいと思いました。

自信を持って、そして安心して我が家は自分の居場所なのだと思って暮らして欲しいと祈ります。何があっても、父と母は君の居場所でありたいと思っているのです。そして君が手伝くれている教会は、父と母の大切な居場所であり、君にとっても永遠に変わることのない居場所なのだよ。・・・一生懸命作業する三男を見て、そんな風に思いました。


今日8月12日はJALの飛行機が御巣鷹山に墜落した日ですね。もう38年も経つのですね。あの夏の日のことをニュースの映像を見て思い出しました。
夫と私はちょうど帰省していたのですが、本当に大変な毎日でした。私は長男がお腹に居て、動きが取れなかったのですが、実家に居ても、一日中ヘリコプターがバタバタと飛ぶ音がしていました。夏の盆踊りやお祭りなどは全部中止、たしか学校のプールや校庭開放も無かったと思います。女性陣は連日炊き出しに出ていました。消防団の男性は応援に出ていて、本当にワサワサした夏でした。沢山の方が亡くなって、高校の体育館は遺体安置所でした。大学時代の友人に会う予定でしたが、彼女のお父様は、検死のために連日遺体安置所に通われていたそうです。友人の実家は前橋でしたから、近隣の医師会や歯科医師会も本当に大変だったと思います。夫の友人の歯医者さんは歯形で身元の特定をされていたそうです。

お盆の行事をどうしたのか、もう忘れてしまいましたが、遺体安置所にご住職が出入りする姿も記憶に残っています。

その後、家族で上野村の慰霊碑を訪れたことが何回もありました。
改めて、悲惨極まりない大惨事だったのだ、と思います。

祈りをささげたいと思います。

jun


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