今日は祈祷会の日。いつものように家を出たのに10分くらい遅刻してしまいました。
踏切が開かなかったのです。東武東上線とJRの埼京線などが、かなり頻繁に通過する踏切なのですが、今日はどうしたことか、延々と開きませんでした。かなり遠回りになるけれど、地下道のあるところまで移動して、そちらを通ることにしました。そしたら、地下道のある道路では車が渋滞していました。車は・・本当に気の毒でした。どうしちゃったのでしょう。
この地下道は、私が中学生の時に完成したのです。それまでは、踏切で足止めされた生徒が大挙して遅刻、なんてことが多々あったのでした。当時は貨物列車も走っていて、本当に開かずの踏切でした。
今日はJRでもトラブルがあり、東上線でもトラブルがあって、長時間、遮断機が下りたままになってしまったようです。
遅刻してしまったけれど、祈祷会には行けて良かったです。今の教会堂で開く祈祷会は今日が最後でした。昔、この教会で信仰を得て、今は牧師さんになられた先生も、今日はいらしていました。9日の日曜日が最終礼拝なのですが、牧師さんはご自身の教会があり、今日の祈祷会にお別れにいらしたということでした。
60年近い歳月の重みを感じました。バラックからスタートして、会堂を新築して、教会を支え続けたひとりひとりの信徒の皆さんや、牧師先生たちの歩みに思いを馳せました。今日いらした先生のお話にも感動しました。現在の立ち位置、生活、人間性、すべては一朝一夕にたどり着けるものではありませんね。
人は生きてきたようにしか、年を重ねられないし、生きてきたようにしか死ねないのかもしれません。いきなりイヤな人間になるわけでもなく、突然豊かな人間性にたどり着けるわけでもない。これは厳しい現実です。残り時間の方が少ない人間にとってはなおさらです。
わが身に置き換えると、欠点だらけの私は、このまま年を取り、生きてきたように年をとって、なんとも残念なお婆さんになっていくのかな・・なんてため息が出ました。でも、希望もありました。人間は変われるのだ、ということを力強くお話して下さいました。いつでも、いくつになっても、人は変われる・・・それは毎日を生きる力になります。そしてその礎になるのは信仰です、というご自身の経験に裏打ちされたお話でした。
老害なんてことにならない自分たちでありたいです。
まずは今、どんな自分たちなのか。日々振り返り、正しく導かれるように祈りながら生活しよう、と改めて思った祈祷会でした。
中学に通っているときは、なんとも思わなかった地下道でしたが、今日はあって良かったな、と思いました。