我が父は、私が18歳、高校3年の時に亡くなりました。50歳でした。
ぎむれっとさんが、お父様が作られるお料理や、集めていらした食器、調理師学校時代のテキストなどを、お母様が処分なさるのから一部をご自身で保管して、結婚されるときに持ってきた、と書かれていて、お父様から愛情を一杯受けていたことと、お父様に対する切ないくらいの愛情も感じて、うるっとしてしまいました。お互いに父親は早死にでしたね。
食べる事、食にまつわる諸々にこだわりを持っていらっしゃる原点はお父様だったのだな、と思いました。父親の味の思い出があるのは、とてもうらやましい気がします。
私の父は山口県の出身です。父の好物は夏みかん、それにフグ(父はフクと言っていました)それにわかめとかまぼこだったような気がします。今にして思えば、なんで母は父と結婚したのかな、と思うのですが母は会津の出身なので、薩長は天敵のように嫌っていたのです。バカバカしいとは思うのですが、祖母と母の関係は単なる嫁と姑のいざこざのほかに幕末の頃の怨念まで引きずっているようでした。戊辰戦争、白虎隊の悲劇など、母は見ていたかの如く語っていました。祖母も吉田松陰を崇拝していて、松下村塾がいかに素晴らしい人材を輩出したか、とか新選組に、どんな仕打ちを受けたか、なんて本気で語って喧嘩していましたから。
まあ、それはさておき、そんな家の中で、母は父の好物、つまりは祖母の好物でもあるのですが、を嫌悪して、食卓には出さなかったのです。夏みかんはすっぱくてまずい。わかめは消化が悪いなどなど。でも、父が私を連れて冬になるとフグ屋さんに行くのは大目に見ていたようでした。三越が池袋にあったのですが、そこで物産展があり、山口の名産品が出品していたりすると、父は必ず出かけていました。
そこで、昆布を巻いたかまぼことかワカメ、アマダイやフグの干物、それに夏みかんやお菓子などを買っていました。私はコブが巻いてあるかまぼこが好きでした。ワカメは祖母がハサミで細かく刻んでごまとかジャコを混ぜてふりかけを作っていました。それも好きだったなぁ。自分で買ってきて、食卓に載せる。今思うと父はちょっとかわいそうでしたね。母が萩焼の食器を集めだしたのは、父が亡くなってからでした。母と折り合いが悪かった私はどういうつもりで集めているんだろうか、と不思議に思ったり、亡くなった父親、祖母に対するあてつけか? なんて思ったりもしました。
萩焼の食器は、私にとっては父親を思い起こす大切なアイテムです。
あとは浅草のフグ屋さん。昔のままのたたずまいで営業されていて、とても懐かしい場所です。
ところで、息子に、お母さんの料理で心に残っているのある? と聞いてみたら次男はホットプレートの料理で三男はバイキングだといいました。ホットプレートは、あり合わせを何でもかんでも焼いただけ。バイキングは冷凍庫や冷蔵庫に半端に残っているものを全部チンして並べて、好きなように食べなさいね、というもので、どちらも私の苦肉の策でした。母としては大分悲しいです。
食は愛情。これからの毎日の食卓をそう心がけて料理しようと思いました。
有難うございました。