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ミャンマーのこと

2023/02/02 15:43jun
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ミャンマーのクーデターから2年が過ぎたのですね。ニュースなどで放送されて、改めて、もうそんなに時間がたってしまったのか、と思いました。

長男は2014年から5年間ほどミャンマーに駐在していました。その間に夫と二人で10日間くらい滞在したのです。

スーチーさんの人気は大変なもので、どんな田舎でもスーチーさんの写真が飾られていました。軍事政権が私腹を肥やして、適正に財政出動してこなかったせいで、学校や鉄道、道路、電力、水道などのインフラがすごく立ち遅れていました。でも当時は息子の仕事もそうですけれど、海外からの投資が盛んで、これからだ!というエネルギーに満ちていた気がします。

メコン川流域のゴールデントライアングル。その麻薬シンジケートが財力で幅を利かせていて、ヤンゴン国際空港の仕事は、そっち系の企業に流れた、なんていう話も聞きましたけれど、本当のところはどうなのでしょう。高等教育を受けられる財力があるのはほとんどがその系統の企業か軍部の子弟たちで、軍人の息子たちは海外に留学して、そのままミャンマーには戻らない人が多かったということです。軍で仕事をする以外、おもだった産業がなかったのかもしれません。当時息子の会社で雇用していたのは、ほとんどが軍部の方たちの娘さんたちでした。女性は高等教育を受けても海外に留まることが許されずに帰国していたのです。優秀な女性の多い職場だ、と言っていました。

日本からの投資は、すごく歓迎されていたように感じました。バガンの先の辺鄙な村にも電気が届けられ、この事業は息子たちがかかわった仕事だ、と聞いてなんだか胸が一杯でした。民族博物館では学芸員の方が展示物を解説してくれたのですが、ここにあるのはみんなレプリカです。本物は大英博物館です。日本は英国の支配から解放する、という触れ込みで入ってきたけれど、結局はそんなことはなかった。と話されていました。日本軍が火をかけた、という王宮の模型を、日本人として、なんとも言えない気持ちで眺めた、その後の言葉だったのです。
水道インフラや電力など、ダムの建設からスタートする長い時間のかかる仕事だけれど、精一杯頑張って働いてもらいたい、親としてはそんな風にも思ったのでした。

心優しいおだやかな人たち。ガイドをしてくれたティダ、ドライバーの方、息子たちの住まいで世話をしてくれていた方たち。皆さんは本当に、今どうしているのだろうか、と胸が痛みます。

軍事力が平和をもたらす、とは思えません。
けれど、ガンジーの非暴力不服従は、今の世界に通用するのだろうか、とも思ってしまいます。自由、平和。どんなリーダーを選ぶのかが大切だけれど、ミャンマーのように軍事力で覆されてしまうと・・・

世界が忘れないで見続けなければ、と思うのです。

jun


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