今日は半年ぶりの子宮癌の病院でした。結果を聞くまでは、何となく落ち着きませんでしたが・・・結果は異状なしで、次回の予約は半年後の来年5月になりました。私の手術をして下さった主治医の先生は、退職されたそうで、担当の先生が変わっていました。ちょっとビックリでしたが、これは仕方がない事ですね。入院中に愛読書の話などをしたのが思い出されます。穏やかで、おっとりとした印象の女医さんでした。新天地でのご活躍をお祈りしましょう。
来年5月の結果、異状なしなら5年生存はクリアしたことになります。その後は1年に1回になるそうです。乳癌の方は既に8年過ぎています。今年の検査は来月です。これを何事も無くクリアできれば、2022年、令和4年を無事に生き延びた事になります。
立て続けに大きな病気を繰り返した私は自分も相当大変でしたが、家族もどんなに心配して気が休まらなかった事だろう、と今なら思うことが出来ます。でも当時は、自分の事だけで精一杯でした。そして会社や、自分がかかわっているいろいろな役割などで、大きなご迷惑を掛けることだけは避けたい、とそればっかりで必死でした。
会社を引き渡し、ほとんど全ての役を降りて、社会的には責任からも解放されて、ずいぶん身軽になりました。やれやれ一段落、のタイミングで今度は死にかけるような病気になってしまったのですから、人生思うに任せないものですね。
生きている以上、人は誰かのお世話になるものだ、と思います。
社会的な活動からはリタイアできたけれど、家族関係は死ぬまで続くのです。
家族にとって、私がどう暮らしていれば、一番安心か、なんて待ち時間の間に考えました。
半病人でも、私が毎日を楽しんで生活している事、ゴルフをしたり、食事に出かけたり、旅行に行ったり、好きな事をして幸せだよ!と思っていれば、息子たちは心おきなく飛び立っていけるし、夫も安心して登山にも行けるのでしょう。身辺整理も考えないわけではありませんが、ドラステイックに事を進めるのではなくて、ゆるゆると、と思っています。家族にも影響することですし、楽しみながら少しずつです。仕舞いこんでいた食器や花器、漆器などは使って楽しんでいます。家族との今の暮らしを楽しみながら、誰かのお世話になる事も有り難く受け入れて、天に帰るその時まで暮らしましょう。
待ち時間にそんなことを考えました。以前より、余裕が出来たのかもしれません。
さて、今日は残り物で、美味しいご飯、つくりましょう。