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ラグビー

2022/10/29 21:56jun
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今日は国立競技場で、ニュージーランドのオールブラックスと日本とのテストマッチがありました。チケットは完売。65000の大観衆は、最多記録だそうです。我が家はリビングのテレビで観戦しました。

熱戦でした。日本は本当に善戦したと思います。7点差で負けてはしまったけれど、過去には145対17で、手も足も出ない大敗だったのですから、確実に強くなっているのです。ワールドカップベスト4・・・大いに期待しています。

 

ところで、夕べ夫は高崎高校の東京同窓会に出席していました。懇親会で、慶応大学ラグビー部の監督をしていらした方とお話したそうです。その時、私の高校同窓生で、慶応大学のラグビー部で活躍した、若林俊康さんのことを話題にしてみた、と言っていました。若林さんは慶応大学ラグビー部で大活躍して、日本一になる原動力だった選手でした。その後ラグビーの試合で大変な怪我をして、半身不随と失語症になってしまったのです。

私も夫も大学ラグビーをよく見に出かけていました。基本、早稲田ファンでしたが、若林選手が出ている時は、二人で慶応を応援していました。俊足のウイング。彼がボールを持って疾走してトライする姿は今も脳裏に蘇ります。日本選手権で日本一にもなって、なんだか我が事のような気分でした。

何年か学年が下なので、在学中にかぶってはいませんが、小石川高校のラグビー部出身でした。慶応に進学した人はもちろん、当時はみんなで若林選手の活躍を応援していたように思います。

 

夕べ、夫がお話させていただいた方は、慶応の監督当時、若林さんがキャプテンで、日本一も経験された方でした。そして若林さんの現在については、とても嬉しい情報も教えて下さいました。長いリハビリの成果で、車いすでは無く、歩けるようになったそうです。言われなければ半身不随だったとは思えないくらい回復されているそうです。また失語症も地道に言語リハビリを継続していて、少しどもることはあっても、会話などは困らないくらいになったのだそうです。

 息子さんもラガーマンになり、花園にも出場し、慶応大学で、若林さんの見ている前で出場をしたそうです。

 

テレビでラグビーを見ながら、夕べの若林さんの話を思い出していました。

人生、何が起こるかわからない、というのは、哀しくも現実だったのです。

迂闊にも、予想外の事など、起こるはずはない、と思い込み、脳天気に過ごしていた日々は過ぎ去りました。

でも、若林さんは復活しました。人生のノーサイド。その時まで、前に進もうと歩み続け、努力し続けている若林さん。見事な、ラガーマンの生き様だと思いました。

 

かたや、たるんでいる私。偶然にも若林さんの近況がもたらされたのは、目が覚めるような、貴重なことでした。出会いに感謝しかありません。

どんな道でもしっかり歩きましょう。
若林さんの人生に恵みがありますように。

 

また競技場に見にいきたいです。


jun


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