友人がいつものようにお花を届けてくれました。私は用意していた梨とぶどうをおすそ分けして、二人でしばしおしゃべりしました。
彼女は実家に通って介護しながらお庭の手入れや家の手入れを続けているのです。もう10年以上だと思います。途中でお父様を見送って、お母様一人の生活を支えてきたけれど、お母様も施設に入られたそうです。今は面会もできないので、庭の花や植木たちのために通っているの、と話していました。
でも、今年の夏はとっても堪えたそうです。半端ない暑さで、ミョウガも暑すぎて育たなかった、と言っていました。いつまで続けられるんだろう、と言う彼女。お花をいただくたびに、彼女の静かな頑張り、丹精が胸に迫ります。
シオン もう少しきれいに挿しなおそう
思い入れのある古い庭木や石、灯篭、つくばい、春夏秋冬で花が尽きないように植物が植えられた庭。処分するにも踏ん切りがつかない、と言う彼女の気持ちはわかるような気がします。
今の暮らしというのは、庭とか生活を楽しむ余裕が持てない時代なのかもしれません。庭だけじゃありません。食器だって使いまわしができて、食洗器で洗えるのがベストで、和洋中と使い分けたり、手洗い必須の扱いが面倒な物は受け入れられません。廃棄してしまえばもうそれきり。着物や帯も、織れる職人さん自体が居なくなってしまった織物もあるのです。
T-falではなくて鉄瓶で沸かしたお湯で淹れるお茶を喜んでくれる彼女。
もうしばらくは、使い続け、手入れを続けて頑張ろう、と励ましあって別れました。
百日草と秋明菊
花屋さんでお花を買ってくるのではなく、庭の花を切り花にして楽しめる。
そんな暮らしは遠くなってしまいました。