昨晩の10時からNHKで学徒動員についてのテレビ番組がありました。
生き残っておられるかつての学徒の方、そして壮行会で見送った女子学生の方、その御子孫の方たちが出演されて、また新発見の資料なども開示されていました。
東条英機に抵抗して、繰り上げ卒業や学徒動員に反対し続けた文部大臣。学問の自由を守るべく学徒動員に反対し続けた当時の旧帝大の総長たち。日記や証言などから彼らの葛藤、駆け引き、そして諦めへとつながる道筋が示されていました。学徒動員には、誰も賛成などしていなかったのでした。戦争へ突っ走る軍部、東条英機。それに同調する世間。その圧力に、もはや誰も抵抗することができなくなった結果の学徒動員だったのが良くわかりました。
答辞を読んだ江橋慎四郎さんの映像も流れました。江橋さんは、友人の叔父様です。亡くなられる前に語られた言葉も印象に残りました。あの答辞は、添削されたものだった、と証言されていました。当時自分が抱いていた気持ちは間違いだった、と断言されていた姿。「生等もとより生還を期せず」と読み上げて、生還されたその後の人生を、友人からはチラと聞いたことがありました。黙して語らず、を貫いていらしたようでしたが、最晩年に語り始めたのは、戦前にも似た空気感を現在に感じられ、危機感を持たれたからかもしれません。
父は繰り上げ卒業。ろくに勉強できなかった、と言っていたのが思い出されます。
叔父は、理系の学生が徴兵免除だったので理系に進んで、後に文転しています。
徴兵免除を狙って、いたずらに長々と学生をしているけしからん輩だ、という世間の風当たりをどのように感じ、受けて、ああいう選択をしたのか、結局叔父は語らず仕舞でした。
奇しくも、生還した江橋さんも叔父も大学で教鞭をとっていました。
父は、癌の研究をしていたけれど、戦争で身体を壊して、研究職の激務に耐えられなくて途中で辞めたのだ、と聞きました。父のアルバムにある中原和郎、という先生がボスではなかったか。おまけの人生、という言葉も蘇りました。
はっきりしているのは、次の世代に手渡したい思いがあって、歩みを進めてきた戦後の人生だった、ということです。
私たちは当時を学び、そして父たちの世代が伝えたかった思いをしっかりと受け取り、また次へと伝えなければなりません。
番組の最後に天皇陛下万歳、と唱和する学徒と東条英機が映されました。
プーチン、習近平、ミャンマー国軍の最高司令官・・・なんだか重なって見えました。
平和な世界を実現するために声を挙げ続ける。そして諦めない。
そんな気持ちも強くしました。
今日は長崎に原爆が投下された日ですね。