みんなの日記‐日記を読む‐

本日の気づき

2025/09/21 16:51jun
読まれた回数:129
礼拝の後、大人の教会学校、それから読書会とお昼過ぎまで会がありました。
牧師先生の説教や祈祷会も大切ですが、私はこういうゼミみたいな学びの時間も大好きです。

大人の教会学校では、紀元前700年くらいのアッシリアと北ユダ王国、南ユダ王国などの話でした。アッシリアが繁栄して、勢力を強め、南ユダ王国は風前の灯火でアッシリアに滅ぼされそうな状態でした。その時に、アッシリアの高官がこんな誘いをするのです。 いつまで頑張っても、どうにもならないよ。こっちにおいで。こっちはブドウが実り、葡萄酒もパンもイチジクの実だってあるし、自分の井戸で水もあるし、豊かで恵まれた暮らしが出来るよ。そういう良い土地を自分の物にもできるし、こっちにおいで、無駄な抵抗はやめなさい、みたいな。

耳障りの良い言葉で、富が手に入る・・・リッチになれるよ、と誘ったのですね。

けれども、その誘いには乗らなかった南ユダの人たち。どうしてなのか、ということもテーマになり話し合いました。

アッシリアの王様は、栄華を極めていたけれど、この南ユダを屈服させることができず、少々弱ったタイミングで2人の息子に殺されてしまいます。そしてその次の代が王になる。大分簡略化しましたが、そんな内容でした。


旧約の時代の話なのですが、今の日本の政治に重ねて考えた方がいました。権力闘争は紀元前の時代も今の永田町も同じではないか。そして豊かになれるよ、という耳障りの良い言葉で民の関心を引こうとするのも、今の政治家と同じではないか、という意見が出ていました。そして何故、豊かさ、富に南ユダの人はなびかなかったのか?

もはや万事休すの状況で、人は何を求めて何によって立つのか、私はそんなことを考えました。死にかける経験をした時、もう自分ではどうすることも出来ないわけで、時々意識がつながった時に思ったのは、自分の命も何もかも神の定めに従って受け入れよう、という事だったのでした。神のなさることは最善である、その信仰にたって全てを受け入れる・・・ギリギリの状況だと、日々の暮らし向きや生活の事も些細なことのように思えたのでした。
南ユダの人たちは富よりも何よりも、選ぶべき正しいものを選択したのだと思いました。

皆さんとの意見交換も活発で興味深い時間でした。

読書会はお弁当を食べながら、テキストの続きを読みました。LGBTQと教会の関りについての学習です。トランプ大統領は海軍艦船から、同性愛者の人権活動家ハーヴエイ・ミルク氏の名前を削除したそうです。多様性を認めない姿勢が顕著なのですが、トランプ氏の支持母体になっている福音派についても今後学んでいく予定だという事でした。違いを受け入れ、認め合いつつ、共に生きていく社会が実現しないものでしょうか。
金子みすずの「みんな違ってみんないい」この言葉が浮かびました。



さて、そろそろ夕食の準備をしましょう。今日は同じ三人でも、息子二人です。
献立はお肉ですね。

jun


junさんの新着日記