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手放すこと

2024/09/05 14:26jun
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今日も、オットットは山へ出かけました。晴れていますからねぇ。
私は教会の作業も無く、夕方循環器内科に行くだけです。
・・・ゆとりが出てくると、いろいろな悩み事、心配事が頭をもたげます。

三男はどうなっていくのか。いつまでこの状態なのだろうか。
独身の弟は、もっと老いた時の事をどう考えているのか。
リモートワークで人と接することが少なくなってしまった次男は、結婚をどう考えているのか。そしてまたヒマラヤに隙あらば行こうとしている夫に対する私の気持ち・・・

グルグルと考え始めると、エンドレスで負のスパイラルに陥ります。

三男が就職して、健康を取り戻して自立する。そして次男も伴侶を得て、子どもにも恵まれて家庭を築く、長男も帰国出来て、家族で落ち着いて生活できる、夫はもうヒマラヤ行きは考えなくなる、弟の行く末は、私が先に旅立っても息子や夫が家族として気にかけてくれる・・・なぁんていう、ハッピーエンドを望みつつも、先走ってあれこれと心配してしまう私。

以前、牧師先生とお話をさせていただいた時のことを改めて思い出しています。

息子たちも弟も、もう大人。私が心配すべきは私の人生。彼らがどのように生きていくかは、彼らしか決められない。家族に対する心配、こだわりを手放して自分は自分の人生をよりよく生きるために頑張ること。見守り、必要な時に的確な応援ができるように、信仰をベースに生活すること。そんなお話だったと思います。

いつまでも私が先走って心配したり、手出しをするのは、私自身が家族に対して依存しているのかもしれません。自分の存在意義をそこにしか見いだせないとしたら、お互いにとってマイナスでしかありませんものね。


自分のために、心を使う。時間も使う。
全員大人の家族関係は、対等、平等であるはずで、少しずつでもそれを目指す。
とりとめもなくグルグルとあれこれ考えていて、そんなことを思った本日の午後でした。

明日は友人とミニ旅行。
病院の帰りに買い物して、明日の留守宅用の食事を用意して、なんて思っていましたが、自分の食べる食事は自分で用意して片づけまでしてもらおう、と決めました。やり過ぎていたのは私かもしれません。

最善の結末は私がどうあがいても、導き出せるものではありません。
クリスチャンとして、家族の幸せを祈りつつ、すべてをゆだねて、受け入れるのみ。

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。
He has made everything beautiful in its time.

伝道の書3-11

時が来るのを待ちきれる忍耐と希望、信仰を与えてください。

jun


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