さっき、お寺とわたしで、1時間ほど、話し合った。
お墓の問題はこじれたら大変らしい。
いろんなケースを見てきたからだろう。
いままでは父が施主をやっていた。が夫婦で施設に入っている。
弟の叔父が施主になるのがいいだろう、とゆう話になった。
墓じまいの話もあった。
お寺で永代供養もやっているとのことだった。
だいたい、一人30万円らしい。
けっこう、お金の話になった。
葬儀と納骨代はきちんとそれそれが負担してほしいと言われた。
33回忌までは、小さくてもいいから、やってほしいとも言われた。
3兄妹が入る予定になりそうだ。
あと、その家族とだ。
わたしは、やっぱり、日本の古来からのやり方で、お墓に入った方が、
成仏できると思っている。気持ち的の意味が強い。
どうなってしまうのだろうか?
頭と心が疲れてしまった。
荷が重すぎる。
叔父と父には連絡した。
おおかた合意した。
もしも、自分が無宗教だったら、こないだまで、無宗教と言っていた。
樹木葬などでも良かったとおもっていた。合理的だし、楽だし、って、
思っていた。でも、わたしは仏陀のことを思っている。し、
お正月は護摩修行もしている。。でも、なにげに、わたしは無宗教だな~と
思っていた。。でも、目覚めたようだ。やっぱり、仏教がいい。
お寺はお金がかかることも、わかっている。。
古いのかもしれない。。非合理的なのかもしれない。。
でも、きっと、父が亡くなったら、それなりの戒名代を払うことになるだろう。
ここで、ひっかかっていたわたしなのだ。。もったいないと。。
でも、人が亡くなる、って、大きすぎることだ。
それに、亡くなった後、もしも、あの世があったら、なにかと、困るだろう(笑)
わたしは、やっぱり、無なんじゃないかな?と思っている。が、
お寺にはそれなりのお金を払っとこう、と考えを変えた。変えつつある。
それでいいのだと思う。
また、大変な問題に遭遇した。これも、試練だろう。
そう思っていよう。簡単なほうに流れてはいけない。。
この問題はゆっくりやっていこうと、叔父と父と話しました。
すこし休まります。
わたしは常々、自分は中央値にいると思っている。
そう思ってきた。
こんな問題も多くのかたが遭遇する問題なのかもしれない。
自分は中央値なのだと信じている。