うきうき家計簿
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幸せな涙 jun 2025/08/23 18:52

今日は甲子園の高校野球、決勝戦でしたね。
東京都民の私としては、西東京代表の日大三校を応援していました。
大学の学部でも山岳部でも先輩のNさんの出身校でもあるし、Nさんの盛り上がり方も、応援したいな、という気持ちに火をつけました。

でも、結果は沖縄の勝利でした。双方のチームとも、本当に良い試合だったと思います。

負けた日大の選手がみんな泣いていました。悔し涙なのでしょうか、それとも自身のプレイに対する後悔の涙なのでしょうか・・・

グラウンドに膝をつき、手をつき、うなだれで、泣き続ける選手の姿を見て・・・私は幸せな涙だなぁ、と思いました。甲子園のあの場、あのシチュエーションで涙を流せるのは、だれでも経験できるものではありません。時がたって、あの経験を幸いなこととして思い出せるよ、きっと。そう思いました。

声を出して、とにかく泣く、ということは、大人になってしまうとそんなにたびたびあるものでは無いですよね。更年期以降、涙もろくなった私ではありますが、自分の事で泣く、というのは・・・思い出せません。父が亡くなった時、その後は流産した時・・・かな。

泣けるというのは心が開放されることなのかもしれません。

悲しいことはあまたあるけれど、心の中にグッとしまい込んで、泣いたりしないで平静に暮らし続けている。涙も悲嘆も自分の奥深くにしまい込んでいて・・・それが表に出てくることなんてあるのだろうか?


幸せな涙を流した高校生たち、きっとかけがえのない未来へとつながる涙だったことでしょう。

若さに乾杯です。

[2]  jun  2025/08/24 20:53

ぎむれっとさん

今晩は。年を重ねる、というのは強くなっていくことでもありますね。正しく強くなれずに、私は途中経過でうつ病になってしまったけれど・・・仕方なかった、と許しています。

どうしようもなくど真ん中に来た時、発散して帰って来る・・・一人で自分を立ち直らせる、そんな術も使いながら日々生きていく・・・年を重ねていくことは、しんどいことでもありますね。

私は・・・家に一人で、仏壇の掃除をしていた時がありました。クリスチャンなのでお位牌に思い入れはあまり無いのですが、父の位牌を綺麗に掃除して、母の位牌も掃除して、父に話しかけていました。 お父さん、いろいろあったけれど、ちゃんとお母さんを見送ったよ。弟とも連絡が取れて、葬儀にも出席したよ。一人で良く頑張ったって、お父さんは褒めてくれるよね・・・なんて。そこまで思ったらなんだか涙が出てきて、その時は仏壇の前で位牌の乾拭きしながら、しばらく泣いていたと思います。でも、これはだあれも知らない事です。

高校時代の涙、私は引退まで部活を続けられなくて(父が亡くなったので) 最後までやり切った感が無かったけれど、高校ラグビーや野球、バスケやバレーボールなど見ていると、本当に若い涙に感動をもらっています。あれだけ頑張ったのだから・・・まさしくその通りですね。踏ん張りどころの指標になって、人生を支えてくれることでしょう。


[1]  ぎむれっと  2025/08/24 19:19

こんばんは。

高校野球に限らず,
高校生の時は期間限定のスポーツで
これが終わったらもう引退→進学or就職ってときは
泣きましたね!
ほんとに泣きました。
junさんのおっしゃるとおり、
今の私にとって、あんだけがんばったんやから・・・という
がんばる指標みたいなものになっているかもしれません。

大人になって泣くとき・・・
結婚して、家族になって・・・
いろんなことを経て、また強くなった気がするんですが
心の真ん中にぐさっときたとき
・・・泣きますね・・・。
心のはしっこをかすめたくらいなら、
ふーん・・で終わるんですけど。
どうしようもなくド真ん中に来たときは、家では泣きません。
誰もいないところに行って、発散して帰ってきます^^;

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