うきうき家計簿
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映画2本見た私の誕生日 jun 2025/07/31 19:49

69歳の誕生日です。自分で自分の誕生日を祝おう、と映画を見ることに決めていました。場所は池袋西口のイケビズ。6階の大ホールです。

午前は「われ弱ければ 矢島楫子伝」という映画でした。
印象に残っているのは楫子の言葉です。

運命とは、命を運にあずける事です。大切な命を運に任すのではなく、これからの女性は使命を持って生きてください。使命とは、命を使うことです。自分の命は、自分で使うのです。

女性解放運動の先駆者となり、宣教師ツルー婦人と出会い、やがで女子学院の初代院長となります。「あなた方は聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい。」と言って校則を廃止してしまうのにも感動しました。アダムとイブの時代、たった一つの神との約束さえ守れなかったのだから、沢山の規則で縛ったところで守れないのは当然で、それよりも自分で自分を治める・・・なんと素晴らしいことだろう、と思いました。一夫一婦制の建白書を提出したり、禁酒運動をしたり、公娼制度廃止の運動にも尽力したそうです。

午後からの映画は「筆子その愛ー天使のピアノ」という映画でした。
滝乃川学園を作った石井筆子の生涯の映画でした。神の前に平等、というキリスト教精神のもと、知的障害児の保護と教育を行い、自立に貢献したのです。彼女とその夫もまたクリスチャンで、聖公会・立教と深いかかわりがありました。

二度も夫に先立たれ、三人の子供は皆夭逝してしまう、そんな困難の中でも諦めずに障害児教育に進み続けた姿に感動しました。礼拝堂で祈り続ける姿が印象に残っています。


内容の濃い映画でした。日本の女子教育や障害児教育、また女性の権利確保などには、外国人、特にキリスト教宣教師の方たちの絶大な尽力があったのだと感じます。

外国人に対する昨今の風潮は、果たして過去を正しく理解している物なのか、これからの日本社会を正しく導くものなのか、考えさせられます。いちにーさん政党!の主張が思い出されて虚しい気がしました。


帰宅したら、夫が誕生日だから、とシャンペンを用意してくれていました。

69歳。矢島楫子さんの言葉「50になって子育ても終わったから楽隠居などと言わないで、社会の問題に関心を持ち、少しでも良い世の中にするために、使命・・・自分の命を最後まで使って生きてください」

とても刺激を受けた誕生日でした。


[6]  jun  2025/08/06 21:22

melonさん

有難うございます。実の母親、父親と折り合いの悪い人は何処にでも、沢山居ます。という言葉は、本当にその通りなのかもしれませんね。でも、自分だけが特別辛い思いをした、と思ってしまう。人間の、私の限界、さがなのかもしれません。

弟は、早々に母親と私との交流を断ちました。母に結婚を大反対されて、私も夫も、母と同じ考えだと思ったのかもしれません。それっきり音信不通で、いよいよ母の命が危ない、という時にどうにか探し出して・・・行き来があるのはそれからです。私は、父亡き後、母を見送ったのですが、1人で全部背負っていたな、と思います。

弟と私が、果たして母の望んだとおりに育ったのかどうかはわかりません。ただ、今弟と行き来できるのは、母が亡くなったからこそで、母の置き土産だと思っています。

私は洗礼を受けて、心からの感謝の気持ちを母に対してもつことが出来るのか・・・これが命ある限り私の背負うべき十字架だと感じています。育ての親の苦労より、辛かった自分のことにばかり目が向いてしまいます。

いまだに、心の奥深くでくすぶり続ける母親への感情、いつか癒され、監視やできれば、と願っています。


melonさんのお母様は、お子さんを亡くされて、本当に悲しい想いをされたのですね。
わが身に置き換えて想像して・・・いたたまれないです。

お辛かったことでしょう。

思わぬことがいろいろあるのが人生ですよね。すべては最善の道へとつながっている、と信じて前向きに歩みたい、そんな信仰を持ちたいと祈る私です。

コメント、有難うございます。

[5]  melon  2025/08/06 12:05

junさん

コメントしようと思いながら、またまた遅くなってしまいました。

3歳と1歳の幼子を残して・・・・・そうだったのですね。涙が出てきます。
一番可愛い盛りで、どんなにか心残りだったことでしょう。
話が逆になりますが、私にも弟がいましたが、1歳6ヶ月の時に肺炎でなくなっています。
その時残った兄弟が6人いても、母の悲しみはいかばかりだったか図りしれません。
そのあと妹が生まれ、兄弟7人になりましたが、「子供は宝」といつも言ってた母にとって、亡くなった子供を片時も忘れたことなどなかったことでしょう。
生みの母は偉大ですが、育ての母は母なりに一生懸命だったかもしれません。
でも、実の母親父親とでも折り合いの悪い人は何処にでも沢山います。
junさん姉弟が立派に育っただけでも、育ての母は儲けもの((笑)でしょう。



[4]  jun  2025/08/03 19:44

melonさん

今晩は。コメント本当にありがとうございます。真夏に大きなお腹を抱えていた、母親の事をついぞ考えたことはありませんでした。melonさんのコメントで、ハッとしました。本当に母はどんなに大変だったことか。絶対にクーラーはありませんものね。

私が、折り合いが悪かった、という母親は、実は父の再婚相手の母親なのです。私と弟の生みの母は、弟が1歳の時に37歳で亡くなっているのです。本当にいろいろな事があった子供時代だったのですが、3歳と1歳の子どもを残して旅立たなければならなかった母親の気持ちは・・・かんがえたこともありませんでした。なんという自己中か。
母親理気持ちを考えると、涙が出てきます。今までの私は、父に対して何で私と弟を残して死んだ!と怒り、母に対しては、育ての母なのですが、責任は果たしたからね。文句は言わせないよ・・・とそんなことばかりでした。産みの母、とても心残りだったことでしょう。
そう思うと、息子たちがとにかく成人しているのですから、私は幸せですね。

melonさんも真夏に大きなお腹で次男さんの産まれてくるのを待っていた・・・なんだか勝手に私は母の姿を重ねてしまいました。ごめんなさい。

とにかく、元気に前向きに毎日を暮らしていきたいです。
有難うございます。

[3]  melon  2025/08/03 18:30

junさん  

3日遅れましたが、お誕生日おめでとうございます。
いつも前向きなjunさん、有意義な充実したお誕生日を過され、素晴らしいです!

69年前は、今ほど暑くはなかったかもしれませんが、大きなお腹を抱えたお母様は、夏を超すのが大変だったことでしょう。無事早く生まれてほしいと思っていたかも・・・・なんて思う私は、次男を7月21日に出産したので、暑い中大きなお腹を持て余して、早く生まれてすっきりしたいと願ったものでした。

60代最後の年も、ご健康で楽しい日々をお過ごしくださいますように・・・。

[2]  jun  2025/08/03 08:40

ぎむれっとさん

お早うございます。コメント有難うございます。死にかけて4回目の誕生日で、映画を見て、おまけの残り時間だから、なんて思わないで、しっかり暮らそうと改めて思いました。

ぎむれっとさんのお誕生日記念、素敵な計画が実現しますように。

濃厚な映画を2本続けてみたので、ちょっと頭がくたびれた感もありました。

ほんの少し前までは、まったく女性の権利、人権なんて認められていなかったのだなぁ、と思いました。逃げる、助けを求める、諦める、声をあげて戦う・・・死ぬ思いで歩んできた先人の方たちの積み重ねの上に、今の女性のポジション、違いを認めて共生しよう、という考え方があるのだと思いました。

私の高校の先輩で、戦時中の障害児の学童疎開を研究されていた方が居ました。(去年、亡くなってしまいました) カタワとかハクチなどと言われ、ごくつぶしとののしられて、疎開の受け入れ先も見つからず、たいへんな苦労があったそうです。

障害児教育の筆子さんの映画を見て、先輩の事も思い出しました。障害児が生まれると、それは母親のせいで、追い詰められて子どもと死を選ぶ・・・ほんの少し前の日本の姿でした。

現在でも、ヤマユリ園の惨殺事件が起こったり、子どもを産めない高齢女性についての、まるで人として無価値であるような発言があったりして、まだまだこれからだし、今後もより良い世の中を求めて、できることはしっかりと続けたい、と思いを新たにしました。先ずは選挙ですよね。私は後はパブコメでの発言などにも注目しています。

死んでいった方が生きたいと願った日・・・心に沁みます。しっかりと今日と言う日を過ごそうと思いました。 有難うございます。

[1]  ぎむれっと  2025/08/02 19:36

こんばんは。

すてきなお誕生日、おめでとうございます!

junさんの日記を拝見して、私の来年の誕生日はなにしようかなと
あわてて日程を確かめました。
・・・ちょっとがっかりな日程だったので、
お誕生日記念と題して、違う日に予定します(笑)

「50になって子育ても終わったから楽隠居などと言わないで、社会の問題に関心を持ち、少しでも良い世の中にするために、使命・・・自分の命を最後まで使って生きてください」

本当にそうですね。
たとえば、ささやかながら毎年選挙に行って、私がいないかもしれない未来を生きる人たちが
生きやすい世の中になるように、一票を投じることは大事なことです。

あなたが虚しく過ごした今日という日は、昨日死んでいったものが、あれほど生きたいと願った明日

いつだったか、若いころに聞いた言葉でした。
私も、がんばろうっと・・・。

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