今日、私は救急搬送された病院での診察と検査の日でした。時間に余裕を持って出かけたのに、電車が止まっていました。強風の影響で架線にビニールがひっかかり、それを撤去している、と言うのです。駅員さんに尋ねたり、タクシー乗り場に行ったり、右往左往しましたが、結局予定したルートで病院に向かいました。結果、予約時間の30分遅れでした。
その後の検査は益々時間がかかりましたが、どうにか検査を終えて診察までたどり着いたところで、担当の先生は救急の患者さんの手術に行かれて、私は初めての先生の診察になりました。
でも、とても丁寧な先生でした。搬送されたときのデータから、今日の検査結果まで良~~~く精査して下さいました。結果、良くコントロールされているし、今日の検査結果も良いし、この病院でなければならない、という理由は無いので、今日で卒業にしましょう。と言っていただきました。今の状態は奇跡に近いです。人生を大いに楽しんでください。とも言っていただきました。人生を大いに楽しむ。やりたいと思ったことはなんでもトライして下さい。何をしても大丈夫。心配なことがあれば、すぐに電話して下さい。そんなお話でした。卒業・・・なんだか夢みたいでした。すぐに夫に結果の報告をして家に帰りました
私はものすごく時間がかかってヘロヘロに疲れてしまったのですが、、その後帰宅して、どうにか夕食を整えることができました。
出先から、夫はケーキ(私の大好きなモンブラン)とシャンパン モエを買ってきてくれて、夕食の時に、とにかく卒業おめでとう、と乾杯してくれました。
当時私は意識も無くて、状況が全くわからないと言ったら、三男と夫が初めていろいろと話してくれました。手術の前の説明を聞いたのは夫だけだったそうですが、当時の細かいことは無我夢中で夫も良く覚えていないそうです。手術中に亡くなる可能性が80%というのを了解してくれれば手術します、というのだけは覚えているようでした。手術が終わって息子たち3人も加わって説明を聞いたそうで、その時の事を改めて三男が話してくれました。
手術はしたけれど、この3日間がヤマ。すぐに連絡が取れるように待機していて欲しい。亡くなる可能性も70%くらい。命を取り留めても、かなり重篤な後遺症が残る、とそんな説明だったそうです。
兄ちゃんたちと、葬式の相談もしたんだよ。もし命があっても記憶障害、言語障害、半身不随なら、家に戻れないのではないか。それとも、家で介護できる体制を整えるか、なんてことまで相談したそうです。知らなかったことが沢山ありました。
夫も三男も、私が片腎はつぶれてしまったけれど、とにかく言語障害も、記憶障害も残らず、普通に動けるまでに回復して、ゴルフや旅行にも行けるのだから、やっぱり奇跡だ、と言っていました。夫は、私が凄く熱心にリハビリしていたことを評価してくれていました。・・・確かに。リハビリは本当に頑張ったと思います。
なんだか今日は当事者の私よりも、夫と三男が嬉しそうに見えました。それだけ心配をかけたのですね。有難う。そしてごめんなさいね。
ケーキも食べ終えた頃、今日は長男がインドネシアに戻る日だ、というのも話題になりました。もうジャカルタに到着しているのですね。孫は寂しがっているでしょう。
改めて、家族の有難味を感じた夕食でした。
・・・しかし、疲れた!! もう休みます。モエもケーキもとても嬉しかったです。有難うダーリン。